77歳 男性 要介護3
糖尿病があり、在宅では不規則な生活になり、血糖値がかなり高くなってしまわれました。また、足の力も弱っており、妻の負担も大きい為、血糖コントロールとリハビリを目的に1カ月入所されました。
血糖値は安定され、足の力も強くなって在宅復帰されました。
その後は、元々利用されていた通所リハビリ(月・水・金)に加え、血糖値を観察する目的で、ショートステイを毎月定期的に1週間利用されるようになりました。
100歳 女性 要介護4
通所リハビリ(デイケア)とショートステイを利用しながら、在宅介護をされていましたが、食事摂取量が減り、食べる時間もかかるようになり、食事形態の検討とご家族に食事の指導を目的に入所されました。食べられるようになれば、在宅復帰、もし食べられないようであれば、当施設でターミナルケア(看取り)をさせて頂く事になりました。
体力が低下されており、食事の為に離床するだけで疲れてしまい、食事が摂れない→さらに体力が低下してしまう悪循環でした。食事の量を1/2量にして、高カロリー(200kcal)のゼリーを毎食提供し、効率よくカロリーを摂取し、まずは体力アップに努めました。嚥下機能を評価し、食事はらくらく食を提供しました。
その結果、食事摂取量が安定し、体力もついたので、在宅復帰されました。超高齢であり、在宅の期間が長いと体調を崩しやすい為、リピート利用(繰り返し入所)をされ、在宅期間中もショートステイをたくさん利用されるようになりました。
≪ご家族の声≫
『母といこいの森と私達家族』
お風呂が大好きで、妻がいつも足の悪い母親と一緒に入浴をしておりましたが、ある日、長風呂だったのか、母がのぼせて口から泡をふいて、妻は裸のまま介抱して、『お母さんを殺してしまう。』と訴え、入浴を目的に通所リハビリ(デイケア)にお世話になったのが、いこいの森のサービス利用開始でした。
これまで母は幾度も手術(乳癌摘出、腕の複雑骨折、盲腸、腸重積等)を受け、身体を痛めてきました。それでも、80歳を超えても、『10歳年上の姉の分まで生きる為に、足の痛みにこの先何十年も付き合うのはごめんだ。』と言い、膝の手術を受けました。私(長男)にはとてもできない、絶対しない勇気と決断を母は持っていたのです。そして83歳の時に認知症を発症しました。
外出は車いすですが、ベッドから車いすに乗り移ること、自力でトイレ若しくは枕元のポータブルトイレに行けるように、リハビリを重ねて頂きました。トイレは出来るだけ自力でできたら本当にいいことだと思っております。母親が寝たきりであれば、下の世話をするのは大変難しいことだったと思います。しかし、リハビリのおかげで、母は何とか簡易トイレまで自力で行ってくれていました。施設のスタッフさんの根気と努力の賜物で、家族にとっては、立ち上がってくれるだけでも、下の世話は大変助かりました。
食事については、なかなか飲み込みまず、一食食べるのに1時間くらいかかるようになりました。『食べる事が生きる事、栄養を取れなくなったとき、命が尽きる時』と考えており、食べさせるのに必死でした。好みのアンパン・みそ汁・麺類の予定量を食べた時は『やれやれ』と思いました。しかし、すぐに昼食・夕食の時間になり、【食べる事】が本人と家族の戦いであったと感じています。
そんな時、『食事摂取量のアップとリハビリ、家族の休息を目的に入所してはどうですか?』と、ご提案頂きました。お言葉に甘え、入所させて頂きました。きちんと嚥下機能を評価して頂き、食べさせていいものと食べさせては危険なもの、味付や嗜好品など様々のものを試して頂き、摂取量のよいもの、悪いものを教えて頂きました。また、少量でもカロリーが摂取できるゼリーや飲み物を提供して頂き、安心して栄養がとれる方法をご指導頂きました。
『食べる?』(職員)
『食べない』(母)
『そうか。またあとで食べましょうね。』(職員)
『アイスクリーム食べてみますか?』(職員)
『うん。』(母)
というような職員さんと母の会話は、【常識の時間内に必要量を食べさせなくてはいけない。】と思っていた私達にとって、まさに目からうろこでした。ご本人が食べたい時に食べたいものを食べて頂く。お互い(本人・家族)が無理をしない。と教えて頂き、今までやっていた方法は、本人を苦しめていたかもしれないと反省すると同時に、肩の力が抜け、ものすごく楽になりました。
効率よくカロリーが取れ体力がつき、そこにリハビリも加わり、またトイレに行けるようになり、家に帰る事ができました。
その後も、何度か施設入所と在宅を繰り返していました。
音楽療法の時、人前で母が歌ったと職員の方から聞いた時は、全く信じられませんでした。母との付き合いは70年を超えていますが、母が歌っている姿は、見たことも聞いたこともありません。今になれば一度その姿を見たかったし、歌を聞いてみたかったです。
90歳を過ぎた頃まで、職員の方に助けてもらいながら、趣味を活かし(書道)、新年の書初めをさせて頂いていました。母の当時の書き物が、今もわが家に残っております。不自由な腕を動かして書初めに挑戦した母を立派だと思います。
いつも通り、母の顔を見に来て、身体のかゆいところを掻いてあげ、洗濯物をもらって、『そろそろ帰ってもいいかな?』の問いに、何故か『嫌、嫌』と言いました。再度尋ねても『嫌、嫌』と答える事に不思議な感じがしていました。それから間もなくお別れになりました。
施設長 東先生より、『いつ何が起こっても不思議ではない状況です。』と説明を受け、終末期医療について問われました。『100歳を超え、もう自然に任せたい。』と伝えました。
(そういう状態であることは理解していても)何の覚悟も心の準備もできていませんでした。いつまでも生き続けていてくれると思っていたのです。
母は平成29年10月4日午前3時15分永眠いたしました(享年100歳)。
十分に話を聞いてあげられず、言いたい事も聞いてあげられず、申し訳ない気持ちがありましたが、葬儀に参列して頂いた方々から、『穏やかな顔』『いい顔して』『苦しんでないね』等の言葉にほっとしました。
(施設に入所させることを躊躇される方がいるかと思いますが)施設入所について、本人も家族もまず一歩前向きになる勇気が必要です。専門の方に相談し、お任せする事がお互いの幸せにつながる第一歩だと感じています。
母が人間らしく最期まで過ごせたのは、施設のみなさんのおかげです。困ったらいつでも相談にのってくれて、本人だけでなく家族まで助けて頂きました。知り合いで介護に困っている人がいたら、いこいの森に相談に行くように言わせてもらいますね。本当にお世話になりました。ありがとうございました。感謝申し上げます。